工房 竹火目

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宇佐神宮で示された主の幻

2024年1月16日

はじめに

以下に記した事は、私が経験した幻のようなものです。自分でも上手く理解できないし説明もできない事です。

いつか意味が分かる日が来るかもしれないと思い記します。

倭国の王イエス・キリスト

つい最近の事で、令和5年の大晦日の話です。私はその日も配達の仕事をしていました。流石に年の瀬ということもあり、荷物は少なく、行き交う車も減り、繁忙期明けの物悲しさが漂う、毎年恒例の雰囲気の中にいる頃でした。

仕事も終わり家に帰り、一人寂しく、店が早く閉まるのを見越して早めに買っておいた惣菜を温め、ビールを空け、ネットでニュースやら動画やら見始めました。

そんな時、一つの動画が目に止まりました。「邪馬台国オリオン座説」というものです。youtubeが自動的に出してきたものですが、題名からして普通の邪馬台国関連の動画とは全く違う雰囲気を漂わせていたので、何だろうと思い見てみました。するとなんてことでしょう。面白すぎてどハマりしてしまいました。しかも、自分と同じではないかと、思った次第です。

著者は、謎の声が突然聞こえ始め邪馬台国の謎を解いたというのです。しかも自分と同じく普段全く神社仏閣に行かない人であるということなので、私にはとてもリアルでした。昔の自分なら一笑してそれ以上見なかったかもしれませんが、今の自分は、これは嘘じゃないと直感的に感じその方の他の動画も見ました。

そして、一番の衝撃的な内容は、日本の初代天皇である神武天皇がイエス・キリストであり、卑弥呼の前に王として君臨していたというものです。しかも墓の位置まで教えて貰ったというのです。

因みに私は、竹内文献も知っているので、主が日本に来て子孫を残し死んだという伝説があることは、知っていましたが、この著者は啓示にて示されたという事に、私は引かれました。

しかし、この話はこれだけでは終わりませんでした。

再びあの御使の声が聞こえる

その動画があまりにも面白かったので、著者のことも検索してみたら、本をアマゾンで出しているのがわかり、早速kindle版を購入しました。次の日、田舎に帰るので、退屈しのぎに読もうと思ったからです。

私は現在大分県の別府市在住ですが、田舎は先祖代々の宇佐になります。因みに、別府からは車で一時間の距離でとても近いです。しかし、あまり帰らないのは、長男なのに結婚せずにいるので、そのことを毎度チクチクと攻めてくるからです。でも帰る度に老いて行く両親を見るのはとても辛く、もっと頻繁に帰ろうかと思うのですが、自分の事も手一杯な状況なので、そうできずにいます。

しかし、今回はかなり厳しく攻められたので、適当に言い訳を作って別府に帰ることにしました。翌日の一月二日の昼頃の事です。

この正月の時期はいつもは閑散とした宇佐も宇佐神宮の周辺だけは初詣客で混み合います。私はというと渋滞が大嫌いですし、初詣など眼中に無かったので、国道10号線には入らず裏の田舎道を走り宇佐神宮を越そうとしていました。そして丁度、駅館川(やっかんがわ)を渡っている時、突然、「お参りしたら。皆喜ぶよ」とあの優しい声が聞こえてきました。かつて392の関係を教えてくれたあの声です。その瞬間、「えっ、どういう意味だろう」と困惑しましたが、何かあるなと思い予定を変更して参拝することにしました。

それは、いつ参拝したかは思い出せない位に久しぶりの事でした。それに、宇佐の神に参らず主に祈りを捧げれば問題ないはずだという思いがあったからです。そして、高森の方へ曲がり、神宮より少し離れた場所の無料駐車場に車を止め、長い距離を歩き、神宮の大鳥居をくぐりぬけたのでした。

宇佐神宮と私の家系

実は、母方の家系は宇佐神宮ととても深い縁があります。その昔、杵築(今の島根県出雲市)から宇佐の地にやってきて、神宮周辺の庄屋だったということのようで、いまは没落していますが、かつては大金持ちであったようです。それ故、長い水路なんかも自費で作ったようで、その功績で宇佐神宮の参道に石碑が立っています。

久しぶりの宇佐神宮でした。しかし、何も変わっていないです。でも流石に正月は人が多いです。店も沢山並んでいて、沢山の子供達の声が聞こえてきて、皆楽しそうです。自分も子供の頃は、正月には必ず参拝にきて、店で何か買ってもらったなと、遠い昔を思い出しました。

しかし同時に、私は少し切ない気持ちにもなりました。ここに来たところで、皆、主を知らないのだろうなと。しかし、いつものように、その事はなるべく考えないようにして、手水やで手を洗い、人混みの中、参拝すべく一人山を登っていきました。

長い階段を登り頂上に着き境内に入ると、やはり多くの人が参拝していました。社殿は大掛かりな工事中のようで全体的に白い布で覆われていましたが、拝殿は皆が大きな賽銭箱にコインを投げる様でどこにあるのかわかりました。

人の流れに沿って、初めに一番手前の賽銭箱の前に行き、五円玉を取り出し投げ入れ、二礼二拍手で心の中で、目の前の宇佐の神を主イエスに変換し、主に対しモゴモゴと早口で祈りを捧げ、一礼して素早く移動しました。私は昔からこの参拝という行為が大の苦手で、周りの人のように上手くできません。人前でそのような姿を見せるのが嫌だからです。これは聖書にそう書かれているからという事ではなく、幼い頃からそうでした。

続いてそのままスライドし、中央の賽銭箱の前に行き、再び五円玉を取り出し、今度は、アブラハム・ヤコブ・イサクの神に同様な作法で祈りを捧げました。

やっと終わったと思い、そのまま階段を下り始めた時、またあの声が聞こえてきました。「それはダメでしょ」と。

驚きの内容が示される

私は、死ぬ程びっくりしたのですが、そのまま聞こえなかったふりをして階段を降りていると、「ちゃんとやり直しなさい」と再び強い口調で言われました。それでもどうしようかと悩んでしましました。なぜなら宇佐神宮に祀られている神が不明確というのが頭にあったからです。

聞こえてくる声を都合よく、幻聴だと片付けようとも考えましたが、そうすることはできず、上り口に合流した地点で、再び階段を上がって行きました。

頂上付近に近づくにつれ、今度はどうやって参拝すればいいのだろうと、困ってしまいました。しかし、大勢の人の流れがあるので立ち止まって考える事ができず、押し出されるように境内に入ってしまいました。

その時、また声が聞こえてきました。「主は左よ」と。

一瞬固まってしまいました。それはどういう意味なんだと。左側がイエス・キリストという意味なのか。その時はそれ以上考える事ができず、再び賽銭箱の前に行き、今度は変換なしで、主に祈りを捧げました。

参拝後、今の事で頭がいっぱいになりました。信じられない事だが、主が日本に来たということなのか、しかも宇佐の地に祀られているということなのかと。再び周りを見渡して、じゃあ何も知らずに参拝しているこの方々はひょっとして救われてる?それの可能性に気づいた時、大ドンデン返しを見た気分でした。その時、あの御使はそれを私に知らせてくれたのだと悟りました。

そして、この話と、あの「邪馬台国オリオン座説」がリンクするということもです。そして、あの御使は著者によって示された「あのシャモイチコクは正しいのよ」と言い、「でもシャムの方が正しい発音に近いのよ」とも後で教えてくれました。

応神天皇

それからずっと、そのことばかり考えていました。自宅についてから色々調べてみました。あの御使が教えてくれた事ではっきりしていることは、左とは応神天皇の事です。勿論、応神天皇がイエス・キリストだとはどんな歴史の本にも書かれていません。ただ、応神天皇は歴史的には間違いなく実在した人物で、日本の基礎を気づいた天皇であるという一般的な解説も間違いはないのでしょう。巨大な古墳も残っています。しかし、その出自には大きな謎があるようですが。

そして、一番気になる事が、どういうタイムラインになっているのかという事です。単純に聖書と組み合わせると、主は復活後、日本に来て応神天皇になったということになりますが、全然合いません。日本の歴史には何か大きなトリックが仕掛けられていると思われます。あの「邪馬台国オリオン座説」がそれを解く、鍵になるのではないかと思います。

しかし、応神天皇の誕生日を見た時、もっと信じられない気持ちになりました。wikipediaには仲哀天皇9年12月14日生まれとあります。実はこの12月14日は私がかつて2つの謎の数字を受けた日なのです。こちら「謎の二つの数字」を参照して下さい。しかも311という受けた数字は神武天皇の崩御の日です。

これは間違いなく主からのメッセージです。私はここにいるよという事です。

宇佐へ

宇佐神宮からの帰り道、私は、あらためて主と深い結び付きがあるのだなと思いました。こんな目の前に主が居たなんて考えもしませんでした。しかもこんなにも祝福してくださるなんて、信じられないの一言です。今回の件で私は、宇佐に戻ろうと決心しました。主に呼ばれた気がしたからです。